Thursday, January 18, 2007

ペルー旅行記-1

作成に時間かかってしまいましたが、楽しかったペルー旅行の様子や現地で考えたことなどを、ペルー旅行記と題し、アップします。かなり長くなってしまったので、分割してアップします。お時間のあるときにどうぞ。

まずは、旅の前提としてペルーの社会経済状況と、1日目から3日目まで。

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ペルーの社会経済状況

ペルーのGNI per capita (atlas method)は208か国中113位、2,610 USD、GDP growth rateは6.7%、総GDPに占める各セクターの割合は、農業、工業、サービス業はそれぞれ9.4%、32.8%、57.8%となっている(データはいずれも2005年)。

GNI per capitaは意外に低く、CuscoからMachu Picchuへ向かう電車の車窓から見た人々の暮らしぶりも、納得かもしれない。GDP成長率は、そこそこ高い数字を示している。農業セクターのGDPシェアは思ったほど高くはなかった。

ということで。極めて参考情報。というか、旅行記には全く関係なく、単に趣味で調べてみただけ(笑)。

1日目(1月9日)

昼過ぎのバスでNYCへ。夜NYCへ着きチェックイン。宿は安く上げたいと思い何年か振りでyouthへ(NYCで35ドル/night。さすがに安い)。

夕食はもちろん日本食。始めに行った「ヤキトリ大将」は閉まっていて焼き鳥は食べられなかったものの、ミッドタウンイーストの「かつ濱」でロースかつ定食を久しぶりに食す。かなーり旨い(感涙)。尚、「かつ濱」はあの日本の松屋グループの経営だそう。

夕食後宿に戻るとフランス、ドイツ、オランダ、インド、チリ、日本(日本の大学の4年生の女の子で、一年交換留学?!でBucknellに来ていて日本語クラスでTA頑張っているとのこと)等、宿泊客が集まって話をしていた。入社して稼ぎ出してからの旅行時にはyouthは使わなくなっていたので、あの独特のバックパック旅行中の若者達が集まっている雰囲気は懐かしかった。ただ、オランダからきてたグループにはおっさんもいて、そんな年でyouthを使うとは、なかなかタフだなと思う。

2日目(1月10日)

早朝に宿を出発し、地下鉄A lineとAirtrainを乗り継ぎJFKへ。Delta便でAtlanta入り。Transit中空港のインターネットを30分程やったら10ドル強とられた。高っ。そんなこんなで暇をつぶしAtlanta発Lima行きDelta便に乗り一路Limaへ。Limaではネットで予約していた宿の出迎えの車が来ていてさくっと宿へ。宿でなんとNHKが見られたので、深夜の到着にも関わらず、久しぶりにNHKを堪能後、就寝。

3日目(1月11日)

この日も朝早く起き空港へ。Cuscoは標高3,400m程度に位置し、フライトは有視界飛行の為午前に限られているらしく、また天候によりキャンセルや遅れが多いと地球の歩き方に書いてあったが、自分のフライトはほぼ遅延なくCuscoに到着。中心街へ移動し、Machu Picchuへの鉄道往復チケット購入後宿にチェックイン。昔富士山に登ったとき高山病で頭痛に悩まされた経験があったので、初日は高山病ケアということで、激しく動き回ったり、飲酒は避けようと決心。宿で出してくれたコカ茶を飲み干しいざ町へ。

町自体はさほど大きくはないものの、インカ時代の石組みの上に建てられたスペイン風の建物が連なる街並みはなかなか趣深い。このあたりが世界遺産に登録された所以かなと思う。丁度友達から借りている安藤忠雄の本を読みかけていたこともあり、彼の言う、「単純に旧いものを壊し、新しくつくりかえていくのではなく、残し留めていくことでしか得られない、豊かさがあるのです」(「建築に夢をみた」 NHKライブラリー p 113)ということが、昔の建築が残されている現在のCuscoの市街の豊かさといえるのかもしれない(とはいえ、スペイン人が征服時にインカ時代の街並みを徹底的に破壊して彼らの建物を建築したことを考えると、それはそれでなんとも言えないのだが)。



クスコ市街をみおろせる高台に位置するサン・クリストバル教会に歩いて移動中、さすがに息が切れ、多少頭も痛くなったが、町を見下ろす風景はなかなかのもの。ここで写真を取ってあげたり取ってもらったりしたことを切っ掛けとしてオランダ人カップルと少々雑談。日本にbranchを持っている製造業の会社で働いているらしく、日本人の知り合いも多いとか。こういう旅のふれ合いはいいといつも思う。



そういえばなんとなくここはアジアのネパールやブータンを彷彿とさせる(自分訪れたことないんだけど・・・ま、イメージということで。。)。理由としては顔がまず似ているし(インディオはアジアから来た?!)、標高が高いので強い日差しにより皆日焼けをしており(ヒマラヤとアンデスは当然双方標高高い)、また伝統的な服装の色使いも似ているような気がするため、総体としてなんとなく雰囲気が同じような感覚を持った。是非、機会があればネパールやブータンに行って、この直感が本当かどうか確認してみたいものだ(今のコースにブータン人の友人がいるので、将来会いに行くのも面白いなと)。

市内観光を終え、夜はペーニャでフォルクローレを聞きながら夕食。念の為高山病ケアでアルコール抜き。そういえば卒業した日本の大学にフォルクローレサークルがあって、毎年新入生の入学手続きの時に勧誘の一貫で必ず演奏していた記憶を思い出す。当時同じクラスだった女の子や、会社の後輩(大学も同じ)もそのサークルに入ってたな。



そこでは演奏と同時に民族舞踊も見せてくれ、まずまず。最後には、その民族舞踊の踊り子さんの女性の方に引っ張られ、自分も一緒に踊る羽目に(実はこういうの、まんざらでもない)。ステップがわからず苦労したが、ま、いい思い出。昔沖縄に一人旅したとき、「花」で有名な喜納昌吉のライブハウスでやはり引っ張られて踊らされたことがあったな。実はその様子、このライブハウスに偶然来ていた旅行中の会社の元同期に目撃されていたのだけど。。。

その他の客層は、日本人の団体客、あとは個人客ちらほら。そういえば一人、すんごい綺麗な子がいた(自分にはJennifer Lopezに見えた・・・)。スペイン語喋ってたけどどこの国の子かは不明。ちら見していたところ雰囲気よさそうで、あぁ、いいぃ(笑)。

翌日朝早い為、そのまま宿に帰り早めの就寝。

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ココまで。

2 Comments:

Anonymous Anonymous said...

学生時代に私も旅した地なので、とても懐かしい想いで一気に読ませていただきました。コメントも4つに分けますね^^

アメリカに住んでたら、南米って近いイメージありましたけど、ずんぶんな道のりだったことにまず驚きました。

偶然にも、私もちょうど12月に「建築に夢を見た」を読んだところでした。都市の成り立ちの歴史が、町中の個々の建物や町全体の雰囲気から見えてくるのは、旅をしていてとってもおもしろいところですね。

高山病ケアでアルコール抜きとは、さすがです。私は南米旅したときに、何も考えずにおなかいっぱいごはん食べたら、ありえないペースで脈打ってました。ここは私にとって「腹八分」の大切さを身をもって学んだ土地です(笑)。

8:46 AM  
Blogger nakacho said...

>ノナ

>アメリカに住んでたら、南米って近いイメ
>ージありましたけど

距離からすると、やっぱり近いと思う。①イサカからいくこと、②日程や値段の関係でJFKからdirect flightがとれなかった、ということで、なんだかんだ余計な時間を取られたという感じ。

>偶然にも、私もちょうど12月に
>「建築に夢を見た」を読んだところで
>した。

それは、奇遇。コンサルタントの仕事も建築家のポジションと似ているところがあるし、あの本で彼の言っている事で参考になるところもあって、建築の細かいところはようわからんものの、なかなかよい本でした。

2:14 AM  

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