Thursday, January 18, 2007

ペルー旅行記-4

最後、6日目から7日目と総括です。

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6日目(1月14日)

Cuscoのホテルをチェックアウトし空港へ。空港でフライト出発待ちをしている時、隣に座った年配のアメリカ人と会話。彼はColumbiaのLaw schoolで勉強した経験のある、現在Atlanta在住のtax関係専門の弁護士とのこと。自分で事務所を開いていて、この1月中下旬がわりと暇になるらしく(自分で仕事してるから自分で調整できるとも言っていた)、奥さんといつも旅行に出かけているらしい。そういうのいいな。自分も将来は嫁さんと世界中旅行などしてみたい(いつになるやら)。メアドをもらい、いつでも連絡してくれとのこと。有難いことです。

そんなこんなでCuscoをあとに。昼Limaに到着。この日の深夜にLimaを出るため、荷物は持ったまま市内観光。

Lima市内も、旧市街が世界遺産に登録されているということで、まずはスペイン風建築物の立つ旧市街の町並みを、アルマス広場からサンマルティン広場を経由してグラウ広場まで、教会等を中心に味わう。余談だけど、サンフランシスコ教会では、あのCuscoのペーニャのお店で会ったJennifer Lopezとなんと再会!「これは運命か」、と思うものの、話かけることもできず素通り(泣)。。ちなみに彼女は僕には気がついていなかったものの、そのグループの一人の男の子が自分を凝視していた。。気がついたんだろうな。だって、自分、踊ってたもんな(笑)。




その後タクシーで新市街であるミラフローレス地区へ移動。まずプレインカ時代の遺跡であるHuaca Pucllanaを見ることに。本当はサンイシドロ地区にあるHuaca Huallamarcaを見てからと思ったが、タクシーの運ちゃんがその場所を知らずか理解せず、直接Huaca Pucllanaへ到着。結果としては時間なかったし、それでよかった。



このHuaca Pucllanaでは、数人の観光客が集まって一緒にまわることになっているのだけれど、同じ回でまわったフィリピン系アメリカ人の女性と話をしていたら、次見に行く場所が同じだったことから、それ以降一緒に観光することに。遺跡から太平洋の見える公園、公園内を海や夕日を見ながら歩き、恋人達の公園までとりあえず移動。

太平洋を東側から見るのは初めてで、あぁ、これが地元藤沢からみる太平洋(正確には相模湾だけど)を反対側から見ているのかぁと思うと感激ひとしお。 また夕日も綺麗だし。



この女性、韓国で英語を教えているらしく、今は、お休みで2ヶ月かけて義理の弟さんの親戚のいるペルー全土を回っている最中とのこと。彼女も一人旅でもう1月強過ぎたそうだから、久しぶりに英語ができる人と会話を楽しみかったのではないかなぁと思う。韓国にいてアジア人にも慣れているということもあったんだろう。彼女はNYUで勉強してた時にNYCに住んでいたこともありManhattan事情にも詳しく、話もはずんだ。

尚、彼女はフィリピン系アメリカ人、妹さんがペルー系アメリカ人と結婚、自分は今韓国で働いているという環境。まさにglobal。

その後彼女とは、レストランやショップが集まるラルコ・マルまで行き、そこで夕食、デザートを一緒に食べることに(彼女はこの辺のお店をよく知っていて、全部連れてってもらったんだが・・)。夕食は、ペルーにきてまだ食べてなかった魚介のCebicheと牛の心臓の串焼きAnticusho、彼女のお勧めのホタテにパルメザンチーズをかけてオーブンで焼いたConchita a la Parmesana。どれも美味しく頂いた。デザートのお店は、ソファなんかあるようなカフェ。ムースとラテなど頼んでちょっとリッチな気分。



最後彼女とは、僕が空港に行かなければならない時間にタクシーに乗るところでお別れ。結局彼女と計7時間ぐらい一緒にいたことになる。怒涛のように話をした(された?)感じ(笑)。でも旅行の最後の最後に、とてもいい思い出になった。

7日目(1月15日)

日付が変わって深夜のDelta便でAtlantaへ。ペルーよ、いい思い出、ありがとう。

Adios, Peru  Hasta luego (あってんのかな? まいっか)。

飛行機では疲れから爆睡。朝8時ぐらいにAtlanta到着。次の便が昼2時頃発で随分時間があったので、空港内うろうろして見つけたソファーに横になりこれまた爆睡。

AtlantaからDelta便でほぼ定刻どおりJFKに夕方到着。ManhattanのKorean townにあるという、Limaで会った女性に教えてもらった韓国spaに行こうとしたのだが、結局見つからず、断念。重い荷物背負ってうろうろしていたので、どっと疲れが。

最後に日本食をと思い最初はラーメン食べようと考えていたのだけれど、お目当てのラーメン屋は遠く、spaの件で精神的肉体的に疲れた僕はそこに行くのはあきらめ、port authority bus terminal近くの「吉野家」に行って吉牛の牛丼を食べることに。紅しょうがたっぷりのせて紅丼となった牛丼を、味噌汁といっしょにかきこむ。あー、うんまい。牛丼自体もすごい久しぶり。まさにアメリカ産牛肉を使った吉牛、狂牛病は・・大丈夫でしょう(笑)。そして食べ終わった後、生卵が売られているのにふと気がつき大ショック。買うとき探したんだけど見つかんなかったから諦めたんだが。。日本ではいつもかけてたのに(涙)。。。。次回絶対頼むぞ。

ということで、port authority bus terminalからshort lineのバスにのり一路Ithacaへ。ここからまだ5時間かかるんだな。ふー。

で、ようやくIthacaに到着したのが深夜1時半ごろ(明けて16日)。College townで降りて、家まで歩く。うわっ、さむっ。雪あるし。そしてようやく無事家に。

帰路丸一日の移動、しんどかった。30歳こえると、この移動の長さと気温の変化はかなりコタエた・・・。

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旅行記は以上です。書きたいことが山のようにあり大作になってしまいました。これ、最後までちゃんと読んでくれる人、いるんだろうか。。。 ま、いいです。記録という意味もありますから。

といいつつ、さらに総括を書きます(笑)。

たかだかnet 4日の滞在なので知ったことは言えないですが、自分が触れ合ったペルーの人から判断するに、いい人が多い国ではないかな。観光地の人の、観光客への態度もそれほどしつこくないし、タクシードライバーやホテルマン、皆一様にいい人。アジアの観光地にいる人(一般化できないけど)に比べても騙そう騙そうとする姿勢が小さい気がするし、総体として人がよいと思う。これには、インカ時代にあったらしい「アマスア(盗まない)、アマケア(怠けない)、アマユア(だまさない)」の掟が関連してるんじゃないかな。一方、その人のよさが、たかだか200~300人のスペイン兵に、あっという間にあの巨大なインカ帝国が滅ぼされてしまった原因とも言えるのでは。いい人でいることと、正直でいること、だけでは必ずしも権謀術数のpoliticsの世界では生き残っていけないのだろうし(相手も同じ価値感を持っているとは限らないもんね)。そう考えると、なんだか複雑です。

また、NYC(中南米からの移民が多く、町を歩いていても中南米系の顔を良く見るし、スペイン語がよく聞こえてくる)や南米に旅行すると、スペイン語勉強したくなります。実際旅でも、Jennifer Lopezやclubでのチリ人の女の子達ともっとコミュニケーションとれたはず(悔しい!)。自分は大学の時第二外国語として、家族5人のうちフランス語選択だった母親を除く3人がドイツ語を選択していたことから安易にドイツ語を選択したのだけれど、このような仕事につくのなら、最低国連公用語のどれかにしとけばよかったと後悔。。。残りのsemesterで、もしもし、余裕があるなら、スペイン語でも勉強してみようかな。なんちゃって。

今回の旅は、遺跡よし、ご飯よし、人との出会いよし、と、ちょっぴり短かったけれどとても密度の濃い、満足度の高い旅でした。最後まで日本に帰るか、ペルーに行くかを検討していましたが、結局日本でやりたかったラーメンを食べることはNYCで、温泉にはいることはMachu Picchuで双方できたので、結果としてはペルーに行って大正解でした。


ということで、winter break十分に楽しんだので、これからはいよいよ授業モードに入って行きたいと思います。

2 Comments:

Anonymous Anonymous said...

セビッチェ、おいしいですよね~!!
きゃぁーーー!、ホタテ&チーズもおいしそう~!!

せっかくアメリカにいるのだから、スペイン語勉強しましょうね。語学を勉強するためには不純な動機が必要ですから。美人3Cのコロンビア、コスタリカ、チリで通用する言語ですからね。

いやぁ、濃い旅でしたね。特に人との出会いが多くて。ブログ読みながら、こちらも楽しめました!

8:50 AM  
Blogger nakacho said...

>ノナ

スペイン語、勉強検討します。。。

2:01 AM  

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